日本大百科全書(ニッポニカ) 「茂木藩」の意味・わかりやすい解説
茂木藩
もてぎはん
江戸時代に下野(しもつけ)国芳賀(はが)郡茂木(栃木県芳賀郡茂木町)に置かれた外様(とざま)藩。1610年(慶長15)細川興元(おきもと)(小倉(こくら)藩主忠興(ただおき)弟)が1万石余を与えられ、茂木藩が成立した。1616年(元和2)には大坂の陣での活躍により、常陸(ひたち)国(茨城県)内で6200石余が加増され、さらに藩庁を常陸(茨城県)筑波(つくば)郡谷田部(やたべ)(つくば市)に移したので、谷田部藩とも称する。領地は下野国芳賀郡25村、常陸国河内(かわち)郡15村、筑波郡8村で1万6265石余である(1664)。1834年(天保5)、農村荒廃と借財のかさむなかで、二宮尊徳(にのみやそんとく)の仕法を導入し、藩医中村勧農衛(かのえ)を起用し藩政改革が実施された。戊辰(ぼしん)戦争ではいち早く新政府側につき会津攻めに参加している。1871年(明治4)藩庁を茂木に移し、ふたたび茂木藩となったが、まもなく廃藩置県により茂木県、宇都宮県を経て栃木県の管轄となった。
[奥田謙一]
『『年表茂木のあゆみ』(1983・茂木町)』▽『『栃木県史 通史編4・5』『栃木県史 史料編 近世3』(1984・栃木県)』