石瀬保(読み)いしぜほ

日本歴史地名大系 「石瀬保」の解説

石瀬保
いしぜほ

現在は庄川対岸となっているが、かつては地久子じくし川によって区切られていたものの、川口かわぐち保・塚原つかはら保と連続していた国衙領の一。興国二年(一三四一)四月八日の後村上天皇綸旨(南狩遺文)により、石瀬保地頭職が勲功の賞として成田四郎左衛門尉宗親に与えられている。翌三年には後醍醐天皇の皇子宗良親王が越後より奈呉なご浦に着岸し、以後一年余在国して南朝方勢力の糾合に努めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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