日本歴史地名大系 「石見国絵図」の解説
石見国絵図(正保国絵図)
いわみのくにえず
一枚 二〇五・三×五〇九・八センチ(彩色)
写本 津和野町郷土館
解説 絵図の北角の貼紙に「石見国絵図色付之次第」「正保弐年乙酉」などとある。本図は昭和五五年に津和野町が一括購入したうちの一点であるが、もとは津和野藩に伝来していたものと考えられる。俵形で村名および村高を示し、各俵形は幕府領(石見銀山領)・浜田藩領・津和野藩領・吉永藩領ごとに色分けされている。三つの藩領と比較して、石見銀山領各村などの注記がより詳細となっており、石見銀山自体の描き方・注記が詳しいことから、本図の作成には銀山奉行が深くかかわっていた可能性がある。以上の点および吉永藩が寛永二〇年から天和二年の間に存在したことなどから勘案し、本図は幕府の命によって作製された正保国絵図に関連する絵図、あるいは正保国絵図の下絵と考えられる。主要な街道は朱線で記され、国境の峠には石見銀山・浜田・津和野などの拠点からの距離や、隣国の麓の村までの距離が記される。絵図の東側上部、北側の下部、下部の西角、北東部を欠き、石見国東部南寄りは四角く切抜かれているが、石見国の絵図としては最も古い情報を伝える。なお津和野町郷土館所蔵の本図および寛永頃津和野城下絵図・天保十一年津和野城下絵図など一一点は石見国絵図の名称で県指定文化財となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報