日本歴史地名大系 「石貝村」の解説 石貝村いしがいむら 佐賀県:三養基郡北茂安町石貝村[現在地名]北茂安町大字白壁(しらかべ)字石貝千栗(ちりく)村の西南に位置する。正保絵図に「石ケ江村」とみえ、貞享四年(一六八七)改の郷村帳、元禄絵図には「石貝村」とみえる。高付けの村であるが、郷村帳の多くは千栗村の内としている。佐賀藩の配分地で貞享四年改の郷村帳では地米(年貢)三二石余、幕末期で三九石(嘉永六年写の大小配分石高帳)。村内の浄土宗大法(だいほう)寺は山号を功徳山といい、阿弥陀如来を本尊とする。もと筑後国鳥飼(とりかい)村(現福岡県久留米市長門石(ながといし)町)にあって天正五年(一五七七)善導(ぜんどう)寺一八代の弁誉の開創と伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by