改訂新版 世界大百科事典 「少彦名命」の意味・わかりやすい解説
少彦名命 (すくなびこなのみこと)
スクナビコナノカミ,スクナミカミとも呼ばれ,《古事記》では少名毘古那神と記す。記紀の神話,《風土記》《万葉集》などにしばしば登場する神で,多くの場合大己貴(おおなむち)神(大国主神の前身ないし別名)と組をなして語られ,その体軀がきわめて短小でかつわんぱく者という特性を示している。名義はオオナムチの〈大(おお)〉の対称〈少(すくな)〉にもとづくもので,この名からさまざまな小人神譚が生まれていったのであろう。《古事記》によれば,大国主神が出雲の御大之御前(みほのみさき)にいたとき,波のかなたより天之羅摩船(あめのかがみのふね)(ガガイモのさやでできた船)に乗り,蛾の皮を衣服として漂着した神があった。名を問えども答えず,まただれもその素姓を知らなかったが,ヒキガエルと久延毘古(くえびこ)(山田の案山子(かかし))によって,神産巣日(かむむすひ)神(神皇産霊尊)の子スクナビコナであることが知れた。カムムスヒは,わが子のうちで〈手俣(たなまた)より漏(く)きし子ぞ〉(指のあいだから落ちた子だ)といい,オオナムチと兄弟になってその国を作り固めよと命ずる。よって2神協力し葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを行うが,のちにスクナビコナは常世国(とこよのくに)へ渡っていったという。《日本書紀》にも同様の話があり,なお,この神をオオナムチが掌中でもてあそんだところ飛び上がってその頰を嚙んだ,あるいは粟茎(あわがら)によじのぼりはじかれて常世国へ赴いた,のような悪童的小人譚の一部を伝えている。さらに播磨,出雲,伯耆の《風土記》には,稲種や粟をもたらす穀霊としてあらわれ,またオオナムチとともに,〈大汝(おおなむち),少御神(すくなみかみ)の作らしし妹背の山は見らくしよしも〉(《万葉集》巻七)のような多くの山や丘の造物主,命名神として伝えられている。記紀以外の文献,伝承にこの2神ほど多くあらわれる神はほかにない。つまり彼らは在地世界で親しく語られた神で,その場合現世的な力や権威を代表するオオナムチに対し,他界よりきたってそれに刺激と活力をあたえる霊的存在として組み合わされたのがスクナビコナであろう。常世神,穀霊,悪童的小人神さらに酒の神(《古事記》仲哀天皇条の歌謡)等々の属性は,上記のことを裏書きしていよう。記紀神話はこうした在地の神をとりこみ〈国作り〉の役をふりあてたわけだが,スクナビコナの場合,ヒキガエルやら田の案山子の脇役によってなお土着の話柄がとどめられている。その体軀短小ながら異常な能力を発揮するという説話的人物としての型は,のちの伝承の世界に多くの類型を生み出していった。スクナビコナは,かぐや姫,一寸法師,瓜子姫,桃太郎等々のはるかな先蹤(せんしよう)である。なおオオナムチ,スクナビコナは医療,禁厭(まじない)の法を定めたとされる(《日本書紀》神代巻)だけに,温泉の開発神とする伝えが各地に多くみられ(伊予国,伊豆国の《風土記》逸文など),延喜典薬式に用いられている薬草石斛(せつこく)はスクナヒコノクスネ(少名彦の薬根)と呼ばれた(《和名抄》《本草和名》)。近世以降,大阪の薬問屋街,道修町(どしようまち)では薬種の守護神として少彦名神社をまつり,毎年11月には全店休業しての大祭が今日でも行われている。また薬師信仰の普及のなかで,スクナビコナは薬師如来と習合されてゆくが,857年(天安1)2神をまつる常陸国大洗磯前(いそざき)神社,酒列(さかつら)磯前神社(ともに式内社)が,官命により〈薬師菩薩名神〉と加号された(《文徳実録》)のはその早いあらわれといえる。
執筆者:阪下 圭八
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報