日本歴史地名大系 「砂原盛岡藩陣屋跡」の解説
砂原盛岡藩陣屋跡
さわらもりおかはんじんやあと
内浦湾を望む海岸近くにあった盛岡藩陣屋(分屯所)跡。東蝦夷地南部藩陣屋跡・砂原陣屋跡として国の史跡に指定されている。安政二年(一八五五)東西蝦夷地が幕府直轄となり、同年箱館表とホロベツ(現登別市)までの海岸一帯は盛岡藩の警備持場となった。同藩は元陣屋を箱館に置き、ヱトモ(現室蘭市)に陣屋、当地とヲシャマンベ(現長万部町)に分屯所が設けられることになった(書付并伺書類・南部藩陣屋考)。当地では同二年砂原村頭取弥右衛門屋敷を借りて仮陣屋とし(「陣屋絵図面」市立函館図書館蔵、「砂原町史」)、翌三年陣屋が完成。東蝦夷地砂原陣屋建家之図(盛岡市中央公民館蔵)によると、周囲を土塁が巡り、御用所一棟・鉄砲武者小屋二棟・大砲方一棟のほか、稽古場・米蔵・雑蔵などがあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報