日本歴史地名大系 「砂子沢村」の解説 砂子沢村いさござわむら 岩手県:盛岡市砂子沢村[現在地名]盛岡市砂子沢簗(やな)川の支流で北流する根田茂(ねだも)川の上流域に位置する山間の村。村内中央部で同川に東流する砂子川が合流。紫波(しわ)郡に属し、北は同郡根田茂村、東は閉伊(へい)郡田代(たしろ)村(現下閉伊郡川井村)、南は稗貫(ひえぬき)郡内川目(うちかわめ)村(現大迫町)。元和八年(一六二二)一一月二五日の南部利直知行宛行状(八戸鵜飼文書)に「志和郡長岡村之内砂子沢弐拾三石弐斗」とみえ、当地ほか一五〇石が盛岡藩家臣の鵜飼宮内に宛行われている。江戸時代初期に当村は紫波郡長岡(ながおか)村(現紫波町)に含まれていたらしい。「雑書」寛永二一年(一六四四)四月二七日条によると、当村の百姓が郡山(こおりやま)(現同上)の市の帰りに喧嘩し、殺人にまで発展している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by