紫波(読み)しわ

精選版 日本国語大辞典 「紫波」の意味・読み・例文・類語

しわしは【紫波】

  1. 岩手県の中央部の郡。北上山地の西側、北上川の中流域にある。弘仁二年(八一一建置。古くは斯波、子波とも書いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紫波」の意味・わかりやすい解説

紫波(町)
しわ

岩手県中央部、紫波郡の町。1955年(昭和30)日詰(ひづめ)町と水分(みずわけ)、志和、古館(ふるだて)、赤石、彦部(ひこべ)、佐比内(さひない)、赤沢長岡の8村が合併して成立。町域は東西に長く、東部は北上(きたかみ)高地、西部は奥羽山脈山地で中央を北上川が流れ、右岸をJR東北本線、国道4号が走り、左岸を国道456号、東部丘陵を396号が通じる。また奥羽山脈の山麓(さんろく)を東北自動車道が走り、紫波インターチェンジがある。北上川流域は水田単作地帯で、東部の丘陵地帯はブドウ、洋ナシ、モモなどの果樹栽培、酪農が主。西部地域は山王海(さんのうかい)ダムによる開田を主体に酪農、野菜・園芸植物の栽培が行われ、東北自動車道の開通で中央市場へも出荷される。中心地区の日詰は盛岡藩時代には郡山(こおりやま)と称し、奥羽街道宿駅、北上川舟運の河港として栄えた。西部の志和地区は南部杜氏(とうじ)発祥の地。文化財としては志和稲荷(いなり)、志賀理和気(しがりわけ)神社、舟久保洞窟(どうくつ)(県史跡)などがあり、「山屋田植踊」は国指定重要無形民俗文化財。勝源院の逆ガシワ(しょうげんいんのさかさがしわ)は国指定天然記念物。このほか城山公園、新山ゴルフ場がある。面積238.98平方キロメートル、人口3万2147(2020)。

[川本忠平]

『『紫波町史』(1972・紫波町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「紫波」の意味・わかりやすい解説

紫波[町] (しわ)

岩手県中央部,紫波郡の町。1955年日詰町,古館村など1町8村が合体して改称。人口3万3288(2010)。町域は東西に細長く,西部は奥羽山脈の支脈,東部は北上高地が占め,中央部を北上川が南流する。中心の日詰は中世に当地を支配した斯波(しば)氏の本領地で,江戸時代は奥州街道の宿駅,北上川舟運の要地として栄えた。北上川西岸の台地,扇状地は江戸時代に造られた鹿妻堰によって水田化され,1954年滝名川上流に山王海ダムが完成して開田が進み,穀倉地帯となった。近年,平野部で野菜栽培,山麓でブドウ,リンゴなどの果樹栽培,畜産も行われる。最北の式内社といわれる志賀理和気神社,斯波氏ゆかりの高水寺城跡,天然記念物に指定された勝源院の逆ガシワなどがある。JR東北本線,国道4号線が通じ,東北自動車道のインターチェンジがある。
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百科事典マイペディア 「紫波」の意味・わかりやすい解説

紫波[町]【しわ】

岩手県中部,紫波郡の町。中部を北上川が南流し東北本線,東北自動車道が通じる。中心は鎌倉中期に斯波(しば)氏が高水寺城を築いた日詰で,江戸時代には奥州街道の宿駅,北上川舟運の要地として栄えた。米,果樹,野菜の生産が盛ん。1954年西部に山王海ダムが完成,灌漑(かんがい)による開田が行われた。東日本大震災で,町内において被害が発生。238.98km2。3万3288人(2010)。

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デジタル大辞泉プラス 「紫波」の解説

紫波

岩手県紫波(しわ)郡紫波町にある道の駅。国道396号に沿う。

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