砂辺村(読み)しなびむら

日本歴史地名大系 「砂辺村」の解説

砂辺村
しなびむら

[現在地名]北谷町砂辺すなべ

浜川はまがー村北の石灰岩段丘上(村内原)に位置し、北は野国ぬぐん(現嘉手納町)。西は東シナ海に面する。絵図郷村帳に「すなへ村」とみえる。琉球国高究帳では畠一四二石余。「球陽」尚寧王一七年(一六〇五)条によれば砂辺村など三ヵ村の百姓が毎年二―三月中に野国総官墓(現同上)前で豊年を祈願した。雍正一三年(一七三五)の諸出米の高は北谷按司掛分畠方四石余・北谷里主所分畠方一斗余・砂辺掟分畠方六石余・百姓持分畠方一三四石余・仕明畠方三升余で、計一四六石余(琉球産業制度資料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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