日本歴史地名大系 「北谷町」の解説 北谷町ちやたんちよう 沖縄県:沖縄島中部北谷町面積:一三・六二平方キロ沖縄島中部西海岸に位置し、北は嘉手納(かでな)町、東は沖縄市・北中城(きたなかぐすく)村、南は宜野湾(ぎのわん)市。西は東シナ海に面する。東側の琉球石灰岩台地から三段の段丘が徐々に低下し、広い海岸低地を形成。海岸部は沖に向かって裾礁のサンゴ礁が発達している。南部を白比(しるひー)(しらひ)川・佐阿天(さあてん)川(普天間川)が西へ流れる。海岸線に沿って南北に国道五八号、北谷交差点から北中城村瑞慶覧(ずけらん)に至る県道一三〇号線、謝苅(じやーがる)入口交差点から沖縄市山里(やまざと)に至る県道二四号線、浜川(はまがわ)交差点から沖縄市南桃原(みなみとうばる)に至る主要地方道沖縄―北谷線(国体記念道路)が走る。 北谷町きたたにまち 大阪府:大阪市東区北谷町[現在地名]東区谷(たに)町四丁目農人橋(のうにんばし)筋を挟んで錫屋(すずや)町の南に延びる谷町筋両側の横町。町名は明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数五五・役数六一半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。町年寄長屋五郎助(介)は竜蔵寺(りゆうぞうじ)町の年寄を兼帯。安政三年(一八五六)の水帳(大阪市立中央図書館蔵)では屋敷数四七・役数六一半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。「難波鶴」は町浄瑠璃文弥風権四郎を記し、延享版「難波丸綱目」は大和小泉藩ほか旗本五家の用聞岩田屋利左衛門を載せる。享保の飢饉の際の施行人は東本願寺門下道場蓮通(れんつう)寺ほか年寄万屋五郎兵衛など四一名(摂陽群談・仁風一覧)、天保の飢饉では年寄野里屋吉兵衛など三五名(天保仁風便覧)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北谷町」の意味・わかりやすい解説 北谷〔町〕ちゃたん 沖縄県,沖縄島中部の西海岸にある町。1980年町制。町名は近世の間切(まぎり。行政区画)名による。1945年4月アメリカ軍が最初に沖縄島に上陸した地。町域の約 6割がアメリカ軍用地として接収され,耕地は少なく,市街地は東の狭い崖上の台地と崖下の傾斜面にある。東シナ海に面した西部に,沖縄島の人口増加,経済発展に伴い急増した水需要を補うための海水淡水化施設が 1997年に完成,稼働した。基地経済への依存度が高い。国道58号線が南北に通る。面積 13.93km2。人口 2万8201(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by