日本歴史地名大系 「碇山城跡」の解説
碇山城跡
いかりやまじようあと
川内川下流左岸の標高一二メートルを最高地点とするシラスの独立丘陵(碇山)に築かれた山城。暦応二年(一三三九)六月二〇日、守護島津貞久の守護代酒匂久景の守る「碇山城」を南朝方三条泰季に属する渋谷氏・和泉氏・牛屎氏らの兵が囲み、二二日城を攻撃した(「島津国史」、「肝付兼重伝」旧記雑録)。このとき当城には久景とともに河田智門房慶喜(同年六月二三日「某道顕・酒匂久景連署書下」有馬文書)・新田宮権執印俊正(同日「道顕・久景連署施行状」旧記雑録)・延時忠種(同年七月二六日「酒匂久景預ケ状」同書)・和泉保末(同年七月日「和泉保末軍忠状」都城島津家文書)・西俣兵衛入道(同年八月一〇日「酒匂久景書下」旧記雑録)らが立籠った。二二日南朝方勢らが壁垣を破り攻め入ろうとした時、新田宮の山から飛来した鳴鏑矢の音が寄手中に響いたため、味方は神慮と思い激励され勝利を収めた(同年八月一五日「酒匂久景注進状」同書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報