碓井封(読み)うすいのふう

日本歴史地名大系 「碓井封」の解説

碓井封
うすいのふう

遠賀おんが川上流域、現碓井町一帯にあった観世音寺(現太宰府市)の封戸。古代嘉麻かま碓井郷(和名抄)の郷名を継承。朱鳥元年(六八六)観世音寺に封二〇〇戸が施入され(新抄格勅符抄)、延喜五年観世音寺資財帳には「嘉麻郡五十烟 碓井郷」とある。長和三年(一〇一四)観世音寺は筑前国司に訴え、碓井封内の封田を公田と相博して円田化し、さらに検田使の不入権も得ており(同年二月一九日「筑前国符案」尊勝院文書/平安遺文二)、当封は実質的に庄園化した。このとき確定した封田は一五一町余で、四至は東は「五里堺并大溝」(現嘉穂町牛隈付近)、南は「岡并小峯山際」(現碓井町西郷付近)、西は「八王子岳東際」(現同町飯田)、北は嘉麻「北郷堺」(現同町下臼井付近)を範囲としていた。この後「水便」のある土地の開発が進み、治安四年(一〇二四)に観世音寺は「勘出公田」一七町余を「本封田」と相博している(同年四月二三日「筑前国符案」同上)。延久元年(一〇六九)庄園整理令を受けて嘉麻郡司が上申した「碓井封田荒熟目録」によれば、封田一五一町余の内訳は見作田八六町余・荒田六四町余であった(同年八月二九日「嘉麻郡司解案」東大寺成巻文書/平安遺文三)

永長元年(一〇九六)頃から観世音寺は「碓井封内山口造寺村」(現碓井町平山字山ノ口か)領有権をめぐり安楽寺(太宰府天満宮)と相論している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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