磯山城跡(読み)いそやまじようあと

日本歴史地名大系 「磯山城跡」の解説

磯山城跡
いそやまじようあと

[現在地名]米原町磯

現米原町と彦根市の境近くにある標高一五九・五メートルの独立丘陵磯山にあった戦国期の城。磯山は入江いりえ内湖(筑摩江)とその南に続く松原まつばら内湖の西、琵琶湖との間の狭長な半島状地形に位置し、琵琶湖岸を通る街道を押える位置にある。このため湖東湖北の境をなす要塞の地として早くから六角氏の支城があったらしい。永正年間(一五〇四―二一)松原成久は磯山で討死し、同通高は六角高頼に仕えたと「松原家譜」(松原文書)は伝え、当初城主は松原(現彦根市)本拠とする松原氏であったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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