改訂新版 世界大百科事典 「礦税の禍」の意味・わかりやすい解説
礦税の禍 (こうぜいのか)
中国,明末の増税問題。神宗のとき〈万暦の三大征〉と呼ばれる辺境の軍事行動により,国庫は窮乏し宮廷費も極度に圧迫された。そこで帝は1596年(万暦24),宦官を鉱監・税監に任命し,全国各地に派遣して鉱山の開発と商税の増徴を行わせた。このとき宦官の多くは無頼の徒をしたがえ,勅旨の名のもとに官吏・富豪をおびやかし,いたるところで不法な誅求を行った。そのため諸方で〈民変〉(民衆の暴動)が起こり,官僚の一部からも強い反対運動が起こったので,1605年にはいったん開鉱をやめ,税務も官吏の手に返したが,この間,宦官より宮廷の庫に進められた鉱税銀はほとんど300万両におよんだという。しかし結局20年(泰昌1)神宗の死にいたるまでその禍はやまず,世にこれを〈鉱税の弊〉〈礦税の禍〉といい,また〈明の亡ぶは,崇禎に亡びずして万暦に亡ぶ〉ともいわれ,明の滅亡の兆しとされる。
執筆者:谷 光隆
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