中国,前近代の内地税。名称の起りは唐の780年(建中1),両税法が実施されたころにある。宋,元,明と拡充され,明の宣徳(1426-35)以後は鈔関税と称するようになる。清代は鈔関税とか常関税といい,咸豊(1851-61)以後は,窮乏財政を支援するため,新たに釐金(りきん)税が登場してくるが,内地税であることに変りはない。商税の導入以前でも関梁の税といって水陸の要所に関所をおいて通過税をとることは随時行われていたものの,商業税の主役は各県城に公設された市で商人を登録させ,市籍租という商業税を徴することであり,関梁の税は邪道とされ反対も多かった。裏返せば重要な市場は県城に限られ,移動商人の勢力も限られ,たとえ目こぼしをしても財源にとり上げるほどには重要でなかった。
唐代半ばから商業革命がはじまり,藩鎮が割拠して通過税を地方財源として横取りするようになると,唐政府は抜本改革をして両税法を行い,商業統制をゆるめた代りに,農民から徴する両税とセットにして移動商人の通過税(商税)を税体系に組み込んだ。当時農村部に市場地が多発したこと,県城の市の統制がゆるんだこと,交通が発達したこと,銭納主義の両税法の下で貨幣が富の入手手段に変じたこと,が促成因である。
宋は商税の制度を整備し,過税と住税に分けた。過税は商税場・商税務という要所の徴収機関を通過する商人に課する通過税で,商品1000文相当につき20文,住税は卸売市場で貿易商や生産者の販売1000文につき30文を徴した。都会のほか,鎮(半都市)や村市にも税場がおかれて課され,1077年(熙寧10),691万8159貫の収入があり。税率からいうと当時の被課税国内商業は7億~14億に当たる。しかも商税のほかに商業税として都市の土地家屋所有税,契約税,ギルド税,富商への賦課,徭役の金銭納があった。こうして宋以後,商税は国の重要財源となり,ことに王朝が盛期を過ぎて土地税の掌握が困難になると商税に付随した付加税に頼るので,結局流通を阻み,不安を増した。
執筆者:斯波 義信
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…この現象を中国の学界では〈資本主義の萌芽〉と認め,近代的生産関係の前身と評価することがある。なお,商業に課せられる税を商税といい,古くは関市の賦と称した。その起源は《周礼(しゆらい)》にさかのぼるが,広く行われたのは唐代以後であり,宋代には制度的にも確立して国家の一大財源となった。…
※「商税」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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