朝日日本歴史人物事典 「礪波志留志」の解説
礪波志留志
越中国礪波郡(富山県)を本拠とする,奈良時代の郡司級地方豪族。氏は利波とも書く。天平19(749)年9月,東大寺盧舎那仏(大仏)の知識物として米3000石(今量約1200石。5000石ともいう)を寄進,無位から一躍外従五位下に叙さる。天平神護3(767)年3月20日越中員外介に任じられ,同日東大寺に墾田100町を寄進,従五位上に昇叙。同年越中国内の東大寺領荘園の検校を行い,文書や絵図に署名を残す。宝亀10(779)年2月伊賀守となる。地方豪族が財力を背景に国守にまで昇った例は少ない。青衣女人で知られる東大寺お水取りの過去帳に「米五千石奉加利波志留志」と記され,今も毎年読みあげられている。<参考文献>米沢康『越中古代史の研究』
(原秀三郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報