日本歴史地名大系 「礪波村」の解説 礪波村となみむら 鳥取県:日野郡日南町礪波村[現在地名]日南町下阿毘縁(しもあびれ)出雲国との国境猿隠(さるがくれ)山(八一六・九メートル)の南東麓、印賀(いんが)川支流の東流する砥波(となみ)川下流に位置する。東と南は下阿毘縁村に接し、北は比田(ひだ)峠(礪波峠ともいう)を越えて出雲国能義(のぎ)郡東比田村(現島根県広瀬町)に至る。享保一一年(一七二六)の「因伯地理志」に峠は道幅三尺、一二月から一月は大雪で牛馬不通とある。正保国絵図に外波村とみえ、戸波・砥波・浪とも記された。かつて大池があり、これを埋立てて田としたのが村の始まりとされ、大池(おいけ)の地名が残る(伯耆志)。拝領高は六九石余、本免は五ツ八分。幕末の六郡郷村生高竈付では生高八五石余、竈数一九。「伯耆志」では林一七町七反余、家数一九・人数一〇九。黒坂(くろさか)村(現日野町)の緒形家は寛政六年(一七九四)当村内の中鈩(なかだたら)鉄穴・下鈩鉄穴を、翌年には上(かみ)鉄穴・中(なか)鉄穴・床無(とこなし)鉄穴・原鉄穴をいずれも礪波幸八から永代買得している(文化一二年「緒形家鉄穴所覚帳」近藤家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by