祐海町
ゆうかいちよう
北陸街道沿いの神宮寺下町を東に入った町で、黒竜社記(黒竜神社文書)に、元徳元年(一三二九)羽倉部祐海が夢告によって黒竜社を足羽山に移したとあるが、その羽倉部祐海から町名が起こった。正徳三年(一七一三)頃の御城下惣町間数帳には「祐海町 三拾八間、往還ヨリ野道迄、但道幅壱間一尺」と記す。
町の東詰に妙経寺、その門前北側に善慶寺があった。両寺ともにもと法華宗京都妙満寺末。顕本法華宗妙経寺は妙満寺二二世日長が享禄元年(一五二八)一乗谷に創立、天正五年(一五七七)足羽山北麓に移ったが、慶長一二年(一六〇七)浄光院(現運正寺)創建のため現地に替地を命ぜられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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