日本歴史地名大系 「祐金町」の解説 祐金町ゆうきんちよう 愛知県:岡崎市岡崎城下祐金町[現在地名]岡崎市祐金町岡崎城外堀東、菅生(すごう)川端の島(しま)町北に東西に通ずる町。西端は六地蔵(ろくじぞう)町に突当たり、東は満性(まんしよう)寺領菅生の地である。町の長さ一三一間・幅二間一尺。岡崎宿伝馬役町の一。もと岡崎城外郭内の中之馬場(なかのばば)の六地蔵町、唐沢(からさわ)町の東の筋にあった(深溝三河記)。「竜城中岡崎分間記」(中根家文書)によれば、正保年中(一六四四―四八)水野氏入封後まもなく、六地蔵町・唐沢町とともに現在地へ移転したという。移転先の祐金町の地はもと榎(えのき)町といっていたが、榎町の者は伝馬(てんま)町の南側に移っていた。祐金の町名は、専福(せんぷく)寺の僧祐金の名よりとったと伝える。専福寺がもと岡崎城大手口南にあり天正八年(一五八〇)能見(のみ)大手口に替わり、さらに慶長七年(一六〇二)に今の祐金町の地に移った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by