日本歴史地名大系 「菅生郷」の解説
菅生郷
すごうごう
現岡崎市中部と北部を包括していたと推定される中世の郷。正安三年(一三〇一)二月一五日付郷司某寺地寄進状(満性寺文書)に「三河国額田郡菅生」とあるが後筆と思われ、確実な初出は足利義詮御教書(総持寺文書)に、
とある。また、文和四年(一三五五)と推定される足利尊氏袖判書状(同文書)に「高播磨守(師冬)後家明阿申参河国すかふの郷事、この所ハ亡父越後守師泰重代之所帯として越後刑部丞(師秀)拝領地也、而師泰之時明阿相伝当知行、年序をふるあひた、如元刑部さり状をいたし候ぬ、仍御教書ならびニかのゆつり状備進之」とあり、「師泰重代之所帯」として相伝されているので、高氏本宗家の所領であることは明らかである。
菅生郷
すごうごう
菅生郷
すごうごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報