祖三寺・蘓山寺
そさんじ・そさんじ
「上井覚兼日記」によると、天正一一年(一五八三)七月九日夜、宮崎地頭上井覚兼は祖三寺へ赴き一泊、翌日朝食をとりながら歓談している。同月一六日、加江田に逗留していた覚兼のもとを祖三寺など諸出家衆が訪れ、弓興行を行っている。同年八月一六日、覚兼は加江田の内山野で鹿狩をした後、祖三寺へ立寄っている。その後も覚兼は度々祖三寺に赴いたり、話し相手に呼寄せたりしており(同書同一二年正月七日条・同年五月一九日条・同年七月六日条など)、蘓山寺(同年八月一日条)などとも記した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 