祝吉御所跡(読み)いわよしごしよあと

日本歴史地名大系 「祝吉御所跡」の解説

祝吉御所跡
いわよしごしよあと

[現在地名]都城市郡元町

沖水おきみず川の南岸、早水はやみず神社境内の北東にある。摂関家領島津庄の惣地頭職に補任された惟宗忠久が建久七年(一一九六)薩摩に下向したのち、日向国諸県もろかた郡島津庄に移り構えたとされる(建久八年説もある)。地元の口碑では忠久はまず堀之内ほりのうち御所(現安久町に石碑がある)へ住み、その後祝吉御所へ移ったといわれるが詳かでない(三国名勝図会)。またこの地を島津と称し、忠久はこの地名をとって島津氏を名乗ったという。島津の地名の由来には霧島山麓にある人の往来が多い枢要の地という意味があり、「島門」「島戸」の字も用いられたといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む