祝山村(読み)ほりやまむら

日本歴史地名大系 「祝山村」の解説

祝山村
ほりやまむら

[現在地名]西浅井町祝山

塩津浜(しおつはま)村の北、塩津谷東縁に立地。西縁を塩津街道が通る。また東部文室(ふむろ)山越と、その南の足海(たるみ)山越(足海越・権現越)で文室村・河並(かわなみ)村(現余呉町)を経て北国街道へ通じる。寛永石高帳に村名がみえ高三一三石余、山城淀藩領。元禄郷帳では甲斐甲府藩領。享保九年(一七二四)大和郡山藩領となり、同年の大和郡山領郷鑑によれば高三四〇石余・反別三三町余、うち田一八町九反余・畑一二町五反余・屋敷一町五反余、家数六五(本百姓四一・水呑二四)・人数二九〇(うち僧二)、馬一三、桶屋一。香取五(かとりご)神社は、もと余(よ)村に鎮座していた海北(かいほく)の宮を前身とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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