日本歴史地名大系 「神六村」の解説 神六村じんろくむら 佐賀県:武雄市神六村[現在地名]武雄市西川登町(にしかわのぼりまち)神六標高四四七メートルの神六山の東南に位置し、大村領(現長崎県)との境をなしている。慶長絵図に「神六」とある。昔は「じのぐ」といったという。鎮守社神六神社(旧村社)は、織田信長の家臣前田備前守利清が現唐津市の鏡山(かがみやま)神社(唐津市の→鏡神社)の分霊と弓矢を神体として祀ったので、「神の具(かみのぐ)」とよばれていたが、草書で書かれた具を「六」と読み違えて「じんろく」となったものであろうと伝えられる。この地域は平安時代後期は長島(ながしま)庄で蓮華王(れんげおう)院領。鎌倉時代には惣地頭橘薩摩氏の所領となり、室町時代成立した塚崎(つかざき)庄に属して塚崎後藤氏の領有となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by