神勢館跡・五丁矢場跡(読み)しんせいかんあと・ごちようやばあと

日本歴史地名大系 「神勢館跡・五丁矢場跡」の解説

神勢館跡・五丁矢場跡
しんせいかんあと・ごちようやばあと

[現在地名]水戸市城東五丁目

那珂川の右岸の字河原かわらにあった。徳川斉昭は嘉永五年(一八五二)砲術の訓練場創設を決め、一年四ヵ月を要して神勢館と五丁矢場を建設した。神勢館は安政元年(一八五四)開業、同三年には構内に銃砲製作所も設けた。東西九八間・南北二町余の規模を有し、藩士福地広延が砲術を教授した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む