日本歴史地名大系 「神山城跡」の解説
神山城跡
こうやまじようあと
延元四年(一三三九)九月付の潮田幹景軍忠状(南狩遺文)に「自去年十二月、楯籠神山城、致昼夜警固之処、去八月廿八日、高土佐守以下国中凶徒等、押寄当城、打囲四方、攻戦之刻、幹景自八月廿八日、至于九月十日、終日終夜、於方々陣々、捨身命致防戦之忠、追返賊徒等(下略)」とみえ、北朝補任守護高土佐守師秋らの軍勢に対し、南朝方の潮田幹景は、南朝方守護愛州太郎右衛門尉・鹿海一福大夫興時・藤原大膳亮兼隆らとともに、神山城ならびに
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報