神応町(読み)かのうまち

日本歴史地名大系 「神応町」の解説

神応町
かのうまち

[現在地名]水戸市梅香ばいこう二丁目・みなみ町三丁目

大坂おおさか町の西に位置し、藤沢小路ふじさわこうじをうけて南北に通じる町で、南端虚空蔵こくうぞう坂上北端裏南うらみなみ町の通りをうけて曲りくねった部分で、元禄三年(一六九〇)の令で「曲尺手かぎのて」とする所に至る(水府地理温故録)

天正一四年(一五八六)江戸氏がこの地に再興した善重ぜんじゆう(一向宗)は元和二年(一六一六)移転、慶長八年(一六〇三)武田万千代が下総より移転した妙雲みよううん寺・蓮乗れんじよう(ともに法華宗)も元和二年に本寺もとてら町へ移り、跡地に鷹部屋を設けてもっぱら鷹師の居住地域とし、鷹匠たかじよう町とよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む