日本歴史地名大系 「神田通船屋敷」の解説 神田通船屋敷かんだつうせんやしき 東京都:千代田区旧神田区地区神田通船屋敷[現在地名]千代田区外神田(そとかんだ)一丁目神田花房(かんだはなぶさ)町の東側に位置する片側町で南は神田川。東は同佐久間(さくま)町一丁目と神田柳(かんだやなぎ)屋敷、北は牛込肴(うしごめさかな)町代地。享保一五年(一七三〇)見沼通船定請負人高田茂右衛門と鈴木文平が、水野隼人正邸(享保一〇年収公)跡地南部分の河岸通り佐久間町一丁目続地で、表田舎間三〇間・裏行同二〇間、河岸荷物揚場幅二間・長さ二〇間の土地と、神田川内に幅九尺・長さ三〇間の船繋場を拝借した。この地所に通船会所が設けられたが、同一八年勘定奉行より同地を町屋とするよう命ぜられたため、会所敷地以外は町人へ地面を貸出すこととなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by