日本歴史地名大系 「神田花房町」の解説 神田花房町かんだはなぶさちよう 東京都:千代田区旧神田区地区神田花房町[現在地名]千代田区外神田(そとかんだ)一丁目神田川に架かる筋違(すじかい)橋の北東側に位置する片側町。南は神田川通、東は神田通船(かんだつうせん)屋敷、西は筋違御門外広小路、北は神田仲(かんだなか)町一丁目と牛込肴(うしごめさかな)町代地。中央を南北に御成道(下谷御成道)が通る。享保一〇年(一七二五)に収公された水野隼人正邸跡地の南東部分が同一八年養生所付(ようじようしよつき)上納町屋となり、翌一九年神田花房町と称した。寛政五年(一七九三)湯島の無縁(むえん)坂よりの火災で類焼し、河岸通りが火除地になったため地所が繰下げられ、さらに代地二ヵ所が武家地跡に与えられた。町内間数は北側が東西表田舎間二五間余・南北裏行同二一間余、東側は南北表田舎間五間・裏幅二〇間、東西は裏行が南方三三間余・北方三〇間。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by