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神農本草 しんのうほんぞうShén nóng běn cǎo

世界大百科事典 第2版の解説

しんのうほんぞう【神農本草 Shén nóng běn cǎo】

中国の陶弘景《神農本草経》を編纂した時に用いた底本の一つで,上中下の3種に分類した365の薬品を収載した薬物書であったという。《証類本草》で黒地に白で表された大きい字の部分がこの書からの引用文であるが,陶弘景によって多少は変更された可能性がある。《神農本草》とは伝説上の帝王の神農が著した本草書の意味であるが,漢代の成立と考えられ,薬物治療の指針として当時の知識をまとめたものである。《神農本草経》と混同されることがある。

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世界大百科事典内の神農本草の言及

【医薬品】より

…とくに中国大陸の広大な地域で,それぞれの地方の風土や生活様式に応じて,異なった医療方法が発達していたが,これらの地方医術は前8世紀から前3世紀にかけての春秋時代以降,各地方の統一,交流がすすむにしたがって,しだいに集成され,体系づけられていった。その代表的なものが,後漢(1~3世紀)のころの《神農本草》と,《傷寒論(雑病論)》である。前者は,西方山地に発達したとされる〈薬効ある自然物〉に関する知識をまとめたもので,中国医学における薬学(本草学)の基礎となったものであり,後者は,身のまわりに存在するありふれた薬物(生薬)を適宜に組み合わせて,その総合的効果が十分に発揮できる特定の条件の疾病に用いるという,当時の江南地方の医術における経験が整理され,一定の薬物を配合した処方に適応する条件(これを証という)という根本概念を把握し,体系化したものである。…

【漢方薬】より

… 中国では薬物に関する学問を本草と呼んでいる。中国で現存する最古の本草書は《神農本草》で,これは後漢期,すなわち1~2世紀ころ書かれたと考えられており,著者は不詳である。陶弘景が《神農本草経》を編纂するに際し用いた底本の一つが《神農本草》である。…

【薬】より

…これには700種の治療剤が含まれているといわれている。中国でも後漢期(1~2世紀ころ)に編纂されたといわれている《神農本草》には,365種の薬物が記載されているが,それらの大部分は紀元前の中国大陸の各地で実際に治療に用いられていたものであると考えられている。 古くからの薬物についての知識は,人間の体や病気についての知識とともに,ギリシア時代に整理され,医学として一つの体系にまとめられた(前5~前3世紀)が,ギリシア医学では薬は自然治癒力を助け,それを妨げるものを除く目的で使用された(薬の種類としてはむしろ合理的な整理が行われ,260種程度に制限されていた)。…

【本草学】より

… 一方,本草書がまとめられるようになったのは一般に漢代と考えられていて,2~3世紀のころには神農とか雷公,桐君などの人名を冠した書が存在したとされている。それらはすべて失われてしまい,《神農本草》だけが陶弘景の書に取り入れられて,その内容を現在まで伝えている。しかし,陶弘景以前の本草書は筆写の過程でかなりの異本を生じていたらしく,内容が確実に残るようになったのは500年ころに陶弘景が本草書の定本を作る目的で編纂した《神農本草経》からである。…

※「神農本草」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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