神農本草経
しんのうほんぞうきょう
中国最古の本草書。著者および著作年代については不明であるが、前漢末期(西暦紀元前後)と推定されている。原本は伝存せず、500年ごろに陶弘景(とうこうけい)が校定し、自注を加えて出版した『神農本草経集注』や『証類本草』中の引用文などから、その内容をうかがい知ることができる。
1年の日数にあわせて365種の薬物を上品(じょうほん)、中品、下品の三品に分けた。上品の120種はいわゆる不老長生の薬物で、丹砂(たんしゃ)、人参(にんじん)、甘草(かんぞう)、枸杞(くこ)、麝香(じゃこう)などが含まれる。中品の120種はいわゆる保健薬で、石膏(せっこう)、葛根(かっこん)、麻黄(まおう)、牡丹(ぼたん)、鹿茸(ろくじょう)などが、下品の125種はいわゆる治療薬で、大黄(だいおう)、附子(ふし)、巴豆(はず)、桔梗(ききょう)、水蛭(すいてつ)など生理作用の激しいものが多く含まれている。
また序文には薬の性質や用法などが的確に述べられ、民族医学としての漢方は、漢代にはすでに完成されていたことがうかがえる。個々の薬物についての記載は簡素で、気味、おもな効能、別名、生育地などが述べられており、薬物の形状や具体的な産地については触れられていない。
後世、多くの人々が本書の再現にあたり、種種の校定本が出版されているが、いずれも細部に食い違いがある。現在もっとも信頼度の高いものは、1854年(安政1)に日本人森立之(たつゆき)が復原した校定本である。
[難波恒雄・御影雅幸]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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神農本草経
しんのうほんぞうきょう
Shên-nung-pên-ts`ao-ching
現存最古の中国の本草 (薬物) 書。著者,成立年次ともに不詳であるが,後漢期頃に成立したと考えられる。 365品の薬物を上中下3類に分って,それぞれ名称,気味 (薬性) ,薬効などを記してある。 500年頃,陶弘景が伝本を校訂してさらに各医副品 365品を追加し『校訂神農本草経』3巻を著わし,のちにさらに自注を加えた『神農本草経集注』7巻を著わした。この際『神農本草経』の本文は朱書され,追加部分は墨書されたが,以後の中国の伝統本草は,いずれも先行する本草の字句には手を加えず,批判などは注で後書する形式をとったため,古本草は散逸しても,現存する宋代の『大観本草』『政知本草』などを通じて古形を察することができる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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神農本草経【しんのうほんぞうきょう】
中国最古の本草書。神農の名を冠するが,2―3世紀に道士たちによって編録されたらしい。4巻で365種の薬物を記載し,薬効により上薬・中薬・下薬に分類。6世紀初めに陶弘景〔456-536〕が増補・付注して《神農本草経集註》7巻を作る。ともに正本は失われているが,唐の《新修本草》をはじめ後代の本草書の祖となった。現在,中国および日本で数種の復元本がある。→本草学
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内の神農本草経の言及
【炎帝】より
…聖徳があって帝位につくと,陳に都を定め,耒(らい),耜(し)などの農具を発明して穀物をうえることを人々に教え,市場の制度を創始するなどして民生の安定につとめた。また草木を嘗(な)めて薬草を探し,《神農本草経》4巻を著したとされる。皇甫謐《帝王世紀》,司馬貞《補史記》三皇本紀を参照。…
【自然誌】より
…いずれも天文・地理から始めて草本に終わる分類百科全書であって,日本でも江戸時代に寺島良安によって《[和漢三才図会]》(1712)ができている。しかしとくに動植物については別に〈本草書〉の伝統があり,梁の陶弘景が漢末の混乱で散逸した本草書を整理し,《神農本草》《名医別録》を基に《神農本草経》の定本を著したのに始まり,李時珍の《[本草綱目]》で完成した。江戸時代,日本ではこれらの研究は〈物産学〉と呼ばれて盛んであった。…
【神農本草】より
…中国の[陶弘景]が《神農本草経》を編纂した時に用いた底本の一つで,上中下の3種に分類した365の薬品を収載した薬物書であったという。《[証類本草]》で黒地に白で表された大きい字の部分がこの書からの引用文であるが,陶弘景によって多少は変更された可能性がある。…
【中国医学】より
…鍼灸についても刺激点である[経穴](つぼ)が発見され,それらの知識は皇甫謐(こうほひつ)(215‐282)によって整理されて《甲乙経》中にまとめられ,その後の鍼灸療法の基準になった。また重要な診断法である脈診についての知識をまとめた《[脈経]》は晋の初期(3世紀後半ごろ)に王叔和によって著されたとされ,陶弘景が当時存在していた本草書を整理して《神農本草経》(《[神農本草]》)を編纂したのは500年ころである。この2書もその後それぞれの分野の基本的な書とされて重視された。…
【本草学】より
…それらはすべて失われてしまい,《神農本草》だけが陶弘景の書に取り入れられて,その内容を現在まで伝えている。しかし,陶弘景以前の本草書は筆写の過程でかなりの異本を生じていたらしく,内容が確実に残るようになったのは500年ころに陶弘景が本草書の定本を作る目的で編纂した《神農本草経》からである。漢の時代に本草の成立に関係したのは方士たちであり,初期の本草書は神仙方術的な色彩の濃い書であったといわれる。…
【本草経集注】より
…正しくは《神農本草経集注》といい,《集注本草》とも呼ばれる。500年ころに[陶弘景]が編纂した中国の本草書(薬物書)である。…
※「神農本草経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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