中国、斉(せい)・梁(りょう)時代の道士、茅山(ぼうざん)派道教の大成者。10歳のとき、晋(しん)の葛洪(かっこう)の『神仙伝』を読んで神仙の道を志し、南斉(なんせい)の484年(永明2)には、道士孫遊嶽(そんゆうがく)(399―489)から符図経法(ふずきょうほう)を受け、道士となった。同年、石頭城において大病にかかり、仙界と交通する神秘的体験をしている。492年(永明10)、俗世間を離れ茅山に住み、自ら華陽(かよう)隠居と号した。こののち彼は『真誥(しんこう)』『登真隠訣(とうしんいんけつ)』『神農本草経集注』を編述し、南斉末には茅山派道教を大成した。梁代には道教界の領袖(りょうしゅう)として建康士大夫(したいふ)社会に認められ、また、梁の武帝から政治上の諮問も受けて「山中宰相」と称された。この間に『周氏冥通記(めいつうき)』『真霊位業図』を著す。『真誥』およびその注では、天地幽明の間を仙界、人界、鬼界の三つに分け、仙・人・鬼はその道徳的行為の有無によって昇降するという三部世界観が唱えられている。『登真隠訣』では、身体に遍満する神々を守る「守一(しゅいつ)」の法が説かれており、また『神農本草経集注』では、薬石によって肉体を養う法が説かれている。このほか『真霊位業図』では道教の神々の系譜が、『周氏冥通記』では弟子周子良(しゅうしりょう)(497―516)の仙界との交通のようすが語られており、彼の著作の諸所に説かれる剣解法(刀剣による尸解(しかい)の法)とともに、彼の道教思想の特徴を示している。
[砂山 稔 2018年5月21日]
『砂山稔著『陶弘景の思想について』(『吉岡博士還暦記念道教研究論集』所収・1977・国書刊行会)』
中国,上清派道教の大成者,本草学者。字は通明。南斉の下級貴族の家に生まれ,〈一事知らざればもって深恥となす〉という態度で古典や医薬学を初めとする諸科学を修め,博学をもってうたわれた。29歳での大病を機に道教信仰を深め,孫遊岳に師事して上清派道教経典の正統的継承者となった。492年(永明10),37歳のとき官途を捨てて江蘇省句容県の句曲山(茅山)に隠居し,華陽隠居と号して上清派教団の確立に努めた。以後500年(永元2)までの間に,各地の名山を歴訪して上清経典の真本を捜集し《真誥(しんこう)》《登真隠訣》両教理書を編纂する一方,《本草経集注》を初めとする医薬学書を次々と完成させて,科学的理論に裏づけられた新たな道教教理の完成を目指した。また斉梁革命に際しては,〈梁〉の国号を献じて武帝の厚い信頼を得,以後国家の大事に際してはことごとく諮問にあずかったので,〈山中宰相〉とも呼ばれた。
執筆者:麦谷 邦夫
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…20巻。364年(東晋,興寧2),茅山(江蘇省句容県)で仙道修行中の許謐(きよひつ),許(きよかい)父子の霊媒楊羲(ようぎ)のもとに,南岳魏夫人をはじめとする真人たちが降臨して授けた誥(おつげ)を中心に,上清派道教の大成者陶弘景が5世紀末に編纂した書。真人同士で応酬した美麗な詩編で,天上および地下の世界のこと,仙道修行の指針など多方面の記事が載せられており,上清派道教の根本経典の一つである。…
… 漢訳仏典ないしは中国仏教が,みずからの宗教をよぶ言葉として用いている〈道教〉の語は,インド仏教の中国的土着化もしくは体質改善の努力と成果とを典型的に象徴しているとともに,中国古来の伝統的な宗教思想信仰に対して,抵抗なく仏教のすべてを受容しうる素地を整備する地ならし機の役割をも果たしてきている。六朝後半期における最高の道教教理学者である陶弘景が,最もすぐれた宗教哲学書として《荘子》内編などとともに漢訳《妙法蓮華経》を挙げ(《真誥叙録》),それよりも半世紀後に北朝(北周)で成立した現存最古の道教教理百科全書《無上秘要》100巻(原欠32巻)に収載する多数の道教経典のうち,経文中にたとえば〈三界〉〈三世〉〈三業〉〈宿命〉〈輪廻〉〈浄土〉〈解脱〉などの仏教漢語をまったく使用していないものは,ほとんど皆無であるといってもよい状況を呈し,ついには《業報因縁経》《本行因縁経》《金光明経》《三元無量寿経》《太上中道妙法蓮華経》などのごとき,経典の名称からして仏教経典と識別困難な多数の道教経典を造出するまでにたちいたるのも,中国仏教が聖人(仏陀)の〈道の教〉として理解され,〈道教〉ともよばれていたことの必然的な帰結であったと見てよい。 漢民族の宗教としてのいわゆる道教が,みずからの教えを道教として意識し,対外的にも道教とよぶようになるのは,もちろん中国仏教のそれよりもはるかにおくれており,4世紀の初め,西晋末期に成立した道教の基礎理論書《抱朴子》の中においてもまだ〈道教〉という2字の成語は用いられていない。…
…茅山上清派,上清派などともいう。梁の陶弘景によって大成されたが,その起源は,晋代の魏華存や楊羲,許穆にさかのぼる。陶弘景の後,王遠知,潘師正を経て,盛唐時代の司馬承禎,李含光,呉筠に継承され,また宋以降も朱自英,劉混康などが出て,唐・宋の皇室と結びつき勢力を張った。…
… 一方,本草書がまとめられるようになったのは一般に漢代と考えられていて,2~3世紀のころには神農とか雷公,桐君などの人名を冠した書が存在したとされている。それらはすべて失われてしまい,《神農本草》だけが陶弘景の書に取り入れられて,その内容を現在まで伝えている。しかし,陶弘景以前の本草書は筆写の過程でかなりの異本を生じていたらしく,内容が確実に残るようになったのは500年ころに陶弘景が本草書の定本を作る目的で編纂した《神農本草経》からである。…
…正しくは《神農本草経集注》といい,《集注本草》とも呼ばれる。500年ころに陶弘景が編纂した中国の本草書(薬物書)である。彼は当時伝存していた本草書のうちで365の薬品を収載していた《神農本草》(《本経》と略す)を底本にし,それに《名医別録》(《別録》)の365の薬品とその説を加え,合計730の薬品を収録する3巻の《神農本草経》を編纂した。…
※「陶弘景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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