日本大百科全書(ニッポニカ) 「証類本草」の意味・わかりやすい解説
証類本草
しょうるいほんぞう
中国、宋(そう)代の本草書。四川(しせん)省の医家唐慎微(とうしんび)がその時代までに出版されていた本草書や医方書を合併、引用してまとめた。正名は『経史証類備急本草』といい、完成年代は西暦1100年ころと推定される。撰者(せんじゃ)の唐慎微はたいへんな名医であったとされ、頼まれると吹雪(ふぶき)のなかでも往診に出かけ、治療には一つの失敗もなかったと伝えられる。また身分の高い人を治療したときには金銭を受け取らず、かわりに古来の秘伝処方や民間療法の知識を請うた。本書には、こうして蒐集(しゅうしゅう)された知識が収録されており、本書以前の本草書にはみられなかった特色である。また撰者である唐慎微の自説がまったく加えられていないのも本書の特色といえよう。
唐慎微著になる原本は出版されなかったが、1108年(大観2)に艾晟(がいせい)が増訂して『経史証類大観本草』の書名で刊行、俗に『大観本草』とよばれている。さらに16年には、徽宗(きそう)の勅命で『大観本草』の校正本が出版された。これが『政和新修経史証類備用本草』(『政和本草』と俗称する)といわれるもので、現存する『大観本草』の内容とは細かい部分でかなり異なっている。また南宋の初めに高宗の勅命で出版されたのが『紹興校定経史証類備急本草』(『紹興本草』と俗称する)で、この書物は日本に部分的な伝写本が存するだけで、完本は現存しない。これら『大観』『政和』『紹興』の3書をさして『証類本草』と称し、文献としてみるときには三者を比較検討する必要がある。
内容は『大観』が三十一巻本で1744種、『政和』が三十巻本、1748種の薬物が収録されており、本草書としていちおう完成の域に達していた。また『証類本草』以前の書物はほとんど失われているので、現在でも本書の価値は高い。
現在もっとも広く通行している版本は、1904年に出版された柯逢時(かほうじ)影印本の『大観本草』と、1249年に蒙古(もうこ)の張存恵(ちょうそんけい)が刊行した晦明軒(かいめいけん)刊本と称される『政和本草』で、いずれも日本や中国で影印出版されており、容易に入手できる。
[難波恒雄・御影雅幸]