日本歴史地名大系 「福寄村」の解説 福寄村ふくよりむら 岐阜県:大野郡清見村福寄村[現在地名]清見村福寄高山街道に沿って藤瀬(ふせ)村の南にあり、川上(かわかみ)川両岸を占める。仁安元年(一一六六)頃の飛騨国雑物進未注進状(宮内庁書陵部蔵)に河上(かわかみ)郷がみえ、続けて「福寄村」一三町二一〇歩が載る。同郷内を開発して新たに独立した村と考えられる。藤瀬了因(りよういん)寺の本願寺蓮如下付の文明一八年(一四八六)三月二八日付方便法身尊像裏書に「大野郡川上庄福寄願主釈法明」とみえる。慶長一八年(一六一三)飛騨国郷帳の川上郷に「福より村」とみえ、高二四〇石。 福寄村ふくよりむら 鳥取県:東伯郡東伯町福寄村[現在地名]東伯町美好(みよし)細工所(さいくじよ)村の東に位置する。古くは皆河原(みながわら)村と称したが、宝暦一〇年(一七六〇)に改称した(藩史)。拝領高は八五石余。藪役銀三匁を課されていた(同書)。幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高九五石余、竈数四。元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数四で、うち余業二(桶屋・水車各一)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by