川上郷(読み)かわかみごう

日本歴史地名大系 「川上郷」の解説

川上郷
かわかみごう

吉野川の最上流、現川上村全域に形成された中近世の郷名。「大和志」には「川上荘」として、東川うのがわ西河にじつこう大滝おおたき(元禄郷帳の大滝領を含む)寺尾てらおさこ塩谷しおだに人知ひとじ高原たかはら白屋しらや井戸いど下多古しもたこ武木たけぎいかり(井光)白川渡しらかわど中奥なかおく和田わだ伯母谷おばたに上多古こうだこ上谷こうだに大迫おおさこ神野谷こうのたに塩葉しおのは(元禄郷帳の入波)柏木かしわぎたにの二四ヵ村をあげている。谷村は誤入かと考えられる。

慶長九年(一六〇四)江戸幕府は大久保長安を川上・黒滝両郷に派遣、翌年から吉野川下しの材木に口役銀を課した。これは切出し材の売価の一〇分の一を徴収するもので、そのうち一〇〇両(銀五貫四〇〇匁)を年貢として取り、残りは百姓助成のため両郷にくだされた。

川上郷
かわかみごう

和名抄」高山寺本・刊本とも訓を欠くが、安房国川上郷を刊本は「加波加美」と訓ずるので、当郷も「かわかみ」であろう。

古代の川上郷については他にみえないが、「古事記」開化天皇の段にみえる「丹波之河上之摩須郎女」は郷名を負うものと考えられる。

川上郷にはのち河上庄(本庄・新庄)が立荘されるが、川(河)上郷としても中世まで存続し、丹後国田数帳に「川上本庄」「川上新庄」とは別に、

<資料は省略されています>

と記される。守護一色氏の一族氏家遠江は友重ともしげ(現熊野郡久美浜町)の城主と思われ、田数帳に「友重保 十町五段九十三歩、氏家遠江」とみえる。

川上郷
かわかみごう

「和名抄」所載の郷。訓は「加波加美」。川上の地名は、奈良市法華ほつけ寺の西側、平城宮東院の南東隅に接する左京二条二坊の坊間大路の西側溝から出土した木簡にみえ、「(表)越中国利波郡川上里鮒雑」、「(裏)一斗五升和銅三年正月十四日」と記される。これは川上里から鮒などの干し肉を奈良へ貢納した際の荷札だが、時期は都が平城に遷都する和銅三年(七一〇)三月以前のことであり、すでに政治的機能が新都に移行していたものとみられる。大宝令制下の川上里は、霊亀元年(七一五)を契機に川上郷と改称された。延喜一〇年(九一〇)一〇月の日付を含む越中国官倉納穀交替帳(石山寺蔵)には「川上村」がみえ、村内の東中一板倉に糒、不動西第一板倉・同第二板倉・同第三板倉等に穀を収納しており、正倉が計画的に配置されていた様子を伝える。

川上郷
かわかみごう

郷名は「肥前風土記」にはなく、「和名抄」刊本に「川上」とみえる。訓は「和名抄」になく、「太宰管内志」は「加波加美」、「日本地理志料」は「加波乃倍」とする。

郷域は、秋光あきみつ(筑後川支流)上流の現三養基みやき基山きやま町の園部そのべ地方か、または大木だいぎ(筑後川支流)の上流、現鳥栖とす市北部の柚比ゆび町・神辺こうのえ町付近とされる。「太宰管内志」は用字の誤認や混乱はあるが、およそ神辺村(現鳥栖市神辺町)付近を推定している。

川上郷
かわかみごう

「和名抄」所載の郷。同書の諸本とも訓を欠く。「鹿児島県史」は現大根占おおねじめ町の川上神社付近の地であろうとする。川上神社が同町城元しろもとにある河上神社とすると、大隅郡禰覆ねじめ郷域に推定した地域にあたることから、当郷は別に考える必要があろう。天喜二年(一〇五四)とされる「大隅国神階記」には河上明神が二社みえており、この点からもすぐに大根占町域とはしがたい。

川上郷
かわかみごう

「和名抄」は諸本とも訓を欠く。平城京長屋王家木簡に「(表)高島郡川□里人」「(裏)丸部臣安麻呂□」とある。「近江国注進風土記」に記す「河上里、善積」は川上郷のことであろう。長承二年(一一三三)七月一二日の明法博士中原明兼勘注(近衛家本知信記天承二年巻裏文書)にみえる子田上こたかみ杣の四至南限の「阿刀河并河上谷河」とある河上谷河は当郷に関係し、河上庄は当郷に成立したものであろう。

川上郷
かわかみごう

「和名抄」所載の郷。諸本ともに訓を欠くが、カワカミであろう。「大日本地名辞書」は比定地不詳としつつ、地勢からみて知覧ちらん(現知覧町)であり、大字こおり川辺(河辺)郡の郡家に由来するとした。「日本地理志料」は川上は川辺のことであり、カワノベと読み、川辺郷にあたるとする。

川上郷
かわかみごう

郷域は、嘉瀬かせ川(祇園ぎおん川)の川上にあたる現小城おぎ郡小城町の岩蔵いわくら松尾まつお一帯に比定される。

「肥前風土記」にはみえないが、風土記にいう小城郡七ヵ郷の一と考えられる。

川上郷
かわかみごう

「和名抄」所載の郷で、東急本では加波加美の訓を付す。江戸期のへい郡川上村を遺称地とみて、「日本地理志料」「大日本地名辞書」ともに現富山とみやま町川上付近に比定している。また「延喜式」に記す川上駅も両書ともに当郷に置かれた駅家とみている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の川上郷の言及

【吉野杉】より

…大和国(奈良県)吉野郡の吉野川上流地帯を主産地とする杉。奥地の川上郷に代表されるこの地方一帯は,杉の造林に好適な立地条件に恵まれていたため植林の歴史は古い。大和の三輪山,春日山に生育する神代杉の苗木を移植したのは文亀年間(1501‐04)と伝えられ,江戸時代中期には屋久島の杉種を移入して品種の改良を図ったとされている。…

※「川上郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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