日本歴史地名大系 「川上郷」の解説
川上郷
かわかみごう
吉野川の最上流、現川上村全域に形成された中近世の郷名。「大和志」には「川上荘」として、
慶長九年(一六〇四)江戸幕府は大久保長安を川上・黒滝両郷に派遣、翌年から吉野川下しの材木に口役銀を課した。これは切出し材の売価の一〇分の一を徴収するもので、そのうち一〇〇両(銀五貫四〇〇匁)を年貢として取り、残りは百姓助成のため両郷にくだされた。
川上郷
かわかみごう
川上郷
かわかみごう
「和名抄」所載の郷。訓は「加波加美」。川上の地名は、奈良市一斗五升和銅三年正月十四日」と記される。これは川上里から鮒などの干し肉を奈良へ貢納した際の荷札だが、時期は都が平城に遷都する和銅三年(七一〇)三月以前のことであり、すでに政治的機能が新都に移行していたものとみられる。大宝令制下の川上里は、霊亀元年(七一五)を契機に川上郷と改称された。延喜一〇年(九一〇)一〇月の日付を含む越中国官倉納穀交替帳(石山寺蔵)には「川上村」がみえ、村内の東中一板倉に糒、不動西第一板倉・同第二板倉・同第三板倉等に穀を収納しており、正倉が計画的に配置されていた様子を伝える。
川上郷
かわかみごう
川上郷
かわかみごう
川上郷
かわかみごう
川上郷
かわかみごう
川上郷
かわかみごう
川上郷
かわかみごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報