知恵蔵 「福見友子」の解説
福見友子
積年のライバル浅見八瑠奈とともに、国際柔道連盟(IJF)世界ランキング首位を争う選手で、オリンピックにどちらが出場しても金メダル確実との呼び声が高かった。しかし、同大会で福見は準決勝戦、3位決定戦ともに敗れメダルを逃した。
8歳の頃から柔道に親しみ、土浦日本大学高校2年だった2002年当時、全日本選抜柔道体重別選手権大会において、12年間121連勝と国内戦無敗を誇っていた「柔(ヤワラ)ちゃん」こと田村亮子(谷亮子)を下し注目を集めた。以降はタイトルから遠ざかったが、筑波大学在籍中、07年に同大会で再び谷亮子を破り初優勝。公式戦で谷亮子を2度破った唯一の選手となる。しかし、全日本柔道連盟により実績を理由として同年の世界選手権代表には選ばれなかった。これにより、08年の北京オリンピック出場の道も実質的に閉ざされることとなり物議をかもした。09年に全日本選抜柔道体重別選手権大会で2度目の優勝、同年オランダで開かれた世界柔道選手権大会に初出場し優勝を飾った。柔道整復師などを育成する学校法人了徳寺学園職員であり、有力な柔道選手を多数擁する同柔道部に所属している(12年現在)。
福見は全日本選抜柔道体重別選手権大会では、08年優勝の山岸絵美とともに歴年優勝を争っている。世界選手権では10、11年に浅見が連覇、福見は準優勝だった。オリンピック代表選考では、浅見が優勢と見られていたが、12年の全日本選抜体重別選手権(オリンピック代表選考会を兼ねる)を制した福見が宿願の代表の座を得た。48キロ級では1992年バルセロナ・オリンピック以来、谷亮子が続けてきた日本のメダル獲得が5大会連続で途絶えた。
ロンドン・オリンピックでは、金メダル最大6個獲得を掲げた女子柔道が惨憺(さんたん)たる結果となり、男子柔道も予想外の成績不振に終わった。このことなどから、国際大会のポイントを積み重ねたIJF世界ランキングでオリンピック出場資格を得る制度や、全日本選手権や代表選考会の勝者が選考に漏れ、敗者が代表入りするなどの選考方法、更には強化合宿のスケジュールなどについて改善を迫る声も出てきている。
(金谷俊秀 ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報