小説家。東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。その後大学院に進み、仲間とつくった同人誌『象』に発表した『ロクタル管の話』(1958)で注目される。ラジオ組み立てに夢中になる中学生がロクタル管というラジオ部品によせる哀歓を描いた作品。母校の助手時代に修士論文を改稿した『親和力研究』(1960)でゲーテ賞(日本ゲーテ協会)を受け、ドイツに2年間留学。この間『象』7号に発表した『されどわれらが日々――』(1964)が『文学界』に転載され、さらに第51回芥川(あくたがわ)賞を受ける。日本共産党の「六全協」(1955年の第6回全国協議会)転換の影響をまともに受けた青年知識人の生き方を正面から扱った作品として高く評価された。それは学部時代の作者の共産主義体験、反体制闘争が素材になっており、当時の日本共産党の武闘路線からの大転換宣言としての「六全協」、その後の「スターリン批判」などを体験した政治世代、とくに若者たちの立場から、それらの革命運動の分裂や挫折(ざせつ)の問題を鋭く追及し、その出口なしの絶望状況からやがて新しい生を模索し、広い世界を発見して飛び立っていく学生群像をリリシズムのタッチで描いた青春小説である。
柴田は大江健三郎と同世代だが、大江文学と違い同じ時代的題材をもっと軽く、明るく甘美な筆致で描き、自我も時代も政治も何一つ信じられない若者のニヒルな内面を追求する、その作風は当時の若者文化の一面を代表していた。とくに若い女性層や高校生、大学生に人気を博した。その後、再度ドイツ留学を経て都立大学に勤務し、まもなく東大の教壇に復帰。そのほかの作品に、『贈る言葉』(1966)、『鳥の影』(1971)、『立ち盡(つく)す明日』(1971)、『されどわれらが日々――』の続編ともいえる『われら戦友たち』(1973。原題『そして、いつの日か……』)や、『ノンちゃんの冒険』(1982)、『突然にシーリアス』(1992)、創作集『中国人の恋人』(1992)等がある。いずれも軽快で明るく平易な表現で、現代的なテーマをわかりやすく描き分ける点に特色がある。評論には『ゲーテ「ファウスト」を読む』(1985)など、書簡体の『晴雨通信』(1985)と『風車通信』(1990)、『希望としてのクレオール』(1994)などのエッセイもある。1970年(昭和45)から3年間にわたって、小田実(まこと)、開高健(かいこうたけし)、高橋和巳(かずみ)、真継伸彦(まつぎのぶひこ)と季刊同人誌『人間として』(全12冊)を刊行。
1991年(平成3)には東京大学文学部長に就任し(~1993)、ドイツ文学関係の学究活動でも有名である。1985年の『ゲーテ「ファウスト」を読む』に続いて、『内面世界に映る歴史――ゲーテ時代ドイツ文学史論』(1986)、対訳と解説で構成する『「ファウスト第1部」を読む』(1997)、『「ファウスト第2部」を読む』(1998)を著し、1999年にはゲーテ生誕250年記念として『ファウスト』第1部、第2部完全版を訳出した。
[松本鶴雄]
『『ゲーテ「ファウスト」を読む』(1985・岩波書店)』▽『『晴雨通信――1983年夏~1985年春』(1985・筑摩書房)』▽『『内面世界に映る歴史――ゲーテ時代ドイツ文学史論』(1986・筑摩書房)』▽『『風車通信――1988年~1989年秋』(1990・筑摩書房)』▽『『突然にシーリアス』(1992・筑摩書房)』▽『『中国人の恋人』(1992・文芸春秋)』▽『『希望としてのクレオール』(1994・筑摩書房)』▽『『「ファウスト第1部」を読む』(1997・白水社)』▽『『「ファウスト第2部」を読む』(1998・白水社)』▽『J・W・ゲーテ著、柴田翔訳『ファウスト』(1999・講談社)』▽『『されどわれらが日々――』『われら戦友たち』(文春文庫)』▽『『贈る言葉』『鳥の影』『立ち盡す明日』(新潮文庫)』▽『J・W・ゲーテ著、柴田翔訳『親和力』(講談社文芸文庫)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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