日本歴史地名大系 「秋穂二島庄」の解説
秋穂二島庄
あいおふたじまのしよう
旧
建久三年(一一九二)後白河法皇は死に臨んで長講堂および長講堂領を宣陽門院勤子内親王に譲与した。全国に散在する所領はすこぶる多かったが、秋穂二島庄もその一である。同二年一〇月の長講堂所領注文(島田文書)には「不所課庄々」として「周防二嶋」の名がある。これが二島庄の初見であるが、二島は以前から後白河法皇の御料であったと考えられる。現秋穂町の善城寺文書の「周防国秋穂庄御本家領家領所等事」という年代不詳の古文書によると、本家は宣陽門院、領家は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報