20世紀日本人名事典 「秦慧玉」の解説 秦 慧玉ハタ エギョク 大正・昭和期の僧侶 曹洞宗管長;曹洞宗大本山永平寺76世貫首。 生年明治29(1896)年3月25日 没年昭和60(1985)年1月2日 出生地兵庫県神戸市 学歴〔年〕曹洞宗大学林(現・駒沢大)卒,東北帝大文学部〔大正15年〕卒 経歴6歳で出家し、8歳の時得度を受ける。大学を出て約20年間、旧制浦和高校で教べんをとった後、駒沢大学教授、永平寺後堂(教務部長)、同顧問、副貫首を歴任。昭和51年に76世貫首と曹洞宗管長に就任。漢詩では宗門の第一人者といわれ、またガンジー・インド首相やローマ法王らとも会って世界平和の実現に努めた。「生活の中の禅」など著書も多い。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秦慧玉」の解説 秦慧玉 はた-えぎょく 1896-1985 大正-昭和時代の僧。明治29年3月25日生まれ。曹洞(そうとう)宗。5歳で秦慧昭について得度,岐阜県の正眼(しょうげん)寺で修行。のち旧制浦和高教授,駒沢大教授。昭和51年曹洞宗管長,永平寺貫首。仏教をとおして国際親善につくす。昭和60年1月2日死去。88歳。兵庫県出身。東北帝大卒。著作に「新詩偈(しげ)作法」「普勧坐禅儀講話」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例