桓武平氏(読み)かんむへいし

旺文社日本史事典 三訂版「桓武平氏」の解説

桓武平氏
かんむへいし

桓武天皇の賜皇子子孫
葛原 (かづらはら) 親王流(のち高棟王流と高望王 (たかもちおう) 流に分かれる)・賀陽 (かや) 親王流・万多 (まんだ) 親王流・仲野親王流の4流あるが,高望王の子孫が武家として栄えた。平氏全盛を築いたのは伊勢平氏の正盛・忠盛・清盛3代で,その滅亡後は頼盛の子孫のみが宮廷貴族として残った。北条三浦和田梶原土肥畠山千葉・河越などの東国諸氏も平氏の流れであるが,平安末期以来源氏と関係が深く,鎌倉幕府御家人として幕府の中枢で活躍した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)「桓武平氏」の解説

桓武平氏
かんむへいし

桓武天皇の4皇子の子孫で平姓を与えられたもの。葛原(かつらばら)親王の流れがもっとも活躍し、のち平高棟(たかむね)、高望(たかもち)の2系統に分かれる。高棟の子孫は中央貴族となり、高望系に将門(まさかど)、伊勢(いせ)平氏(正盛・忠盛(ただもり)・清盛)、坂東(ばんどう)八平氏北条氏がある。

[編集部]

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精選版 日本国語大辞典「桓武平氏」の解説

かんむ‐へいし クヮンム‥【桓武平氏】

桓武天皇の賜姓皇子の子孫。なかでも葛原親王流(のち高棟王流と高望王流)が有力。高望王は桓武天皇の玄孫のため寛平元年(八八九)に平姓を賜い、上総介に叙任。子孫は東国地方に土着し豪族となる。伊勢平氏や北条・土肥・畠山・三浦・和田・梶原などは、この類族である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「桓武平氏」の解説

桓武平氏
かんむへいし

桓武天皇賜姓平氏をいう。葛原親王流,賀陽親王流,万多親王流,仲野親王流に分れ,さらに葛原親王流には高棟王流と高望王流とがある。このうち武士として関東地方伊賀,伊勢に発展したのは,高望王の諸流派である。

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世界大百科事典 第2版「桓武平氏」の解説

かんむへいし【桓武平氏】

賜姓平氏のうち桓武天皇の皇子・皇孫系譜をもつものの称(図)。桓武平氏に葛原(かつらはら)親王流・万多(まんだ)親王流・仲野親王流・賀陽(かや)親王流などがあり,さらに葛原親王流も高棟(たかむね)王流と高望(たかもち)王流とに分かれる。しかし,一般にはこれらの諸流のうちとくに高望王流の平氏を桓武平氏という場合が多い。
[東国の諸平氏]
 葛原親王の子高見王(高棟王の弟)の子が高望王で,彼は889年(寛平1)8月に平姓を与えられ,上総介になったことから,その子孫が東国地方に繁衍(はんえん)する基が開かれた。

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世界大百科事典内の桓武平氏の言及

【坂東八平氏】より

…平安時代後期以降,関東八ヵ国の各地に蟠踞(ばんきよ)した桓武平氏姓の武士団の総称。相模の桓武平氏良茂流の(1)大庭(おおば)氏(高座郡大庭御厨),(2)梶原氏(鎌倉郡梶原郷),(3)長尾氏(同郡長尾村),同じく良茂流の(4)三浦氏(御浦郡),および桓武平氏村岡五郎良文流の(5)中村氏(余綾郡中村荘,のち土肥(どひ)氏土屋氏,二宮氏を分出),武蔵の良文流の(6)秩父氏(秩父郡,のち小山田(おやまだ)氏葛西(かさい)氏河越(かわごえ)氏豊島(としま)氏畠山氏などを分出),上総の同じ良文流の(7)上総氏(埴生郡),上総氏と同族で下総の(8)千葉氏(千葉郡千葉荘),以上の8氏をいう。…

【平氏】より

…平安前期の皇族賜姓の一つ。桓武(かんむ)平氏,仁明(にんみよう)平氏,文徳(もんとく)平氏,光孝(こうこう)平氏の4流がある。桓武平氏は桓武天皇の子・孫で平姓を得た一流をいう。…

※「桓武平氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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