長尾景春(読み)ながお・かげはる

朝日日本歴史人物事典 「長尾景春」の解説

長尾景春

没年:永正11.8.24(1514.9.12)
生年嘉吉3(1443)
戦国時代の武将。上野白井城(北群馬郡)城主で白井長尾氏の当主。右衛門尉,左衛門尉。山内上杉氏の家宰長尾景信の子。文明5(1473)年に父の死により白井城主となるが,山内上杉氏の家宰職には総社長尾氏の忠景が就任した。同8年景春は,主君上杉顕定の布陣する武蔵五十子陣の背後の鉢形城に入り顕定の陣を急襲,翌年1月には五十子の上杉勢を四散させた。その一方で豊島氏をはじめ相模,武蔵,上野の武士を広範に結集,こうした勢力の蜂起によって反乱は拡大し成功するかにみえた。しかし扇谷上杉氏の家老太田道灌が反乱軍の鎮圧に動き,景春は武蔵用土原で敗れ鉢形にこもったが,翌10年にはここを落とされて秩父に入り,12年に逃亡した。景春の反乱は家宰になれなかった恨みによるといわれているが,景春が顕定に代わる主人を擁立していないことからみても,この反乱は自身が家宰になるために起こしたクーデタではなく,上杉氏にとって代わろうとした下剋上の反乱であったと評価できる。逃亡後の景春は白井を保って独自の動きをみせ,晩年の永正7(1510)年にも顕定に背いている。

(山田邦明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長尾景春」の解説

長尾景春 ながお-かげはる

1443-1514 室町-戦国時代の武将。
嘉吉(かきつ)3年生まれ。長尾景信の子。祖父景仲,父景信は山内上杉家の家宰(執事職)をつとめる。文明5年父の死後上野(こうずけ)(群馬県)白井城主。上杉顕定(あきさだ)が叔父忠景を家宰にしたのを不満とし,8年古河公方(こがくぼう)足利成氏(しげうじ)と通じて乱をおこす。山内・扇谷(おうぎがやつ)両上杉氏の争いでは扇谷方についた。永正(えいしょう)11年8月24日死去。72歳。通称は孫四郎,四郎右衛門。号は伊玄斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長尾景春の言及

【長尾氏】より

…それぞれ上杉氏の家宰として家政管理をつかさどるほか同氏の守護分国上野・伊豆・武蔵の守護代をつとめた。室町後期の文明年代には長尾景春が上杉顕定に背いて反乱をおこしたが,上杉氏の権力を奪取するには至らなかった。しかし,それを契機とする上杉氏権力の分解と衰退にともない,長尾氏はそれぞれ独自の動きを示した。…

※「長尾景春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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