朝日日本歴史人物事典 「長尾景春」の解説
長尾景春
生年:嘉吉3(1443)
戦国時代の武将。上野白井城(北群馬郡)城主で白井長尾氏の当主。右衛門尉,左衛門尉。山内上杉氏の家宰長尾景信の子。文明5(1473)年に父の死により白井城主となるが,山内上杉氏の家宰職には総社長尾氏の忠景が就任した。同8年景春は,主君上杉顕定の布陣する武蔵五十子陣の背後の鉢形城に入り顕定の陣を急襲,翌年1月には五十子の上杉勢を四散させた。その一方で豊島氏をはじめ相模,武蔵,上野の武士を広範に結集,こうした勢力の蜂起によって反乱は拡大し成功するかにみえた。しかし扇谷上杉氏の家老太田道灌が反乱軍の鎮圧に動き,景春は武蔵用土原で敗れ鉢形にこもったが,翌10年にはここを落とされて秩父に入り,12年に逃亡した。景春の反乱は家宰になれなかった恨みによるといわれているが,景春が顕定に代わる主人を擁立していないことからみても,この反乱は自身が家宰になるために起こしたクーデタではなく,上杉氏にとって代わろうとした下剋上の反乱であったと評価できる。逃亡後の景春は白井を保って独自の動きをみせ,晩年の永正7(1510)年にも顕定に背いている。
(山田邦明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報