防人のつくった歌の意だが、防人の家族のつくった歌も含めていう。『万葉集』に東国の防人の歌87首、父の歌1首、妻の歌10首、合計98首(長歌1首、短歌97首)が残る。このなかには、755年(天平勝宝7)2月に筑紫(つくし)(福岡県)に赴く防人を難波(なにわ)(大阪府)まで引率してきた防人部領使(さきもりのことりづかい)から、当時防人検閲の任にあった大伴家持(おおとものやかもち)が集録した歌が84首ある。これらは東国10国の国別にまとめられ作者名が記されている(防人の出身郡・地位が記されている国もある)。ほかに、同じときに磐余諸君(いわれのもろきみ)が大伴家持に贈った「昔年防人歌」8首や大原今城(いまき)が宴席で披露した「昔年相替防人歌」1首などもあるが、前記の84首以外はすべて作歌年次・作者名ともに不明。防人の歌の大部分は、生存の原点としての家郷から切り離された苦悩、原点への回帰の願望、家族への思い、また家郷から引き裂かれる将来への不安・恐怖などが生々しく歌われている。「我(わ)ろ旅は旅と思(おめ)ほど家(いひ)にして子持(め)ち痩(や)すらむ我が妻愛(みかな)しも」(巻20)はその好例の一つ。防人の家族の歌も「防人に行くは誰(た)が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思ひもせず」(巻20)のように、夫を送り出さざるをえない妻の深く重い苦しみが詠出されている。総じて防人歌には、貴族の旅の歌とは同列に論じられない、生存の危機に立ち至った者の叫びが歌われていて、奈良時代の庶民の歌としても、また東国方言を提供する言語資料としても東歌(あずまうた)とともに貴重な存在である。
[遠藤 宏]
『遠藤宏著「防人」(『万葉集講座6』所収・1972・有精堂出版)』▽『吉野裕著『防人歌の基礎構造』(1943・伊藤書店/復刊・1984・筑摩書房)』▽『阪下圭八著『万葉集 東歌・防人歌の心』(2001・新日本出版社)』▽『水島義治著『万葉集防人歌全注釈』(2003・笠間書院)』
《万葉集》中に収められた防人および防人の家族たちの歌。〈東歌(あずまうた)〉とともに,古代東国の民衆の歌として貴重な作品群である。総数は98首,うち97首が短歌で,残る1首は長歌である。内訳は,巻十四(東歌)中の〈防人歌〉の標目下に5首,巻二十中〈天平勝宝七歳乙未二月,相替りて筑紫に遣さるる諸国の防人等の歌〉の題のもとにそれぞれの作者の名前が付記された84首(うち1首が長歌),そして〈昔年の防人の歌〉8首,〈昔年相替りし防人の歌〉1首である。一応この98首を〈防人歌〉と呼んでいるが,このほかに,巻十三に,防人の妻の作と伝えられる長歌と反歌があり,さらに〈東歌〉中にも上記以外に防人の作とみなしうる作があって,実質的な〈防人歌〉数はもう少し上まわることになる。防人とは崎守の意味で,唐・新羅軍の来襲に備えて,筑紫,壱岐,対馬に常駐させた約3000の兵たちを指す。任期は3年で,東国の農民たちが徴発され,これに充てられた。〈防人歌〉の中心をなすのは,天平勝宝7年(755)の84首であるが,それを採録したのは大伴家持であった。防人たちが,出発にあたって父母妻子らと歌を詠みかわしたり,旅の途次の宴席等に歌をつくったりする伝統があったのだろう。当時,防人たちを統括する役,兵部少輔の地位にあった家持は,それらの歌を献上させた。献上された歌は,遠江,相模,駿河,上総,常陸,下野,下総,信濃,上野,武蔵10ヵ国の166首。家持が拙劣歌を没にしたのちの約半数を《万葉集》に収めたのであった。〈今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ我は〉のような忠誠を誓う体の公的色彩をもつ歌もあるにはあるが,その数は少なく,主流をなすのは〈我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)さへ見えて世に忘られず〉,〈父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごて行かむ〉のように,家族との別れを悲しむ歌,家を思い家人を恋うる歌である。
執筆者:佐佐木 幸綱
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防人の作った歌。「防人歌」という標題は「万葉集」巻14にのみ現れるが,巻20にも755年(天平勝宝7)2月,難波に集結した諸国の防人の歌84首を中心とする93首を載せる。天平勝宝7年の歌群は,防人を検閲するために難波にきていた兵部少輔大伴家持(やかもち)が防人部領使(ことりづかい)を通じて入手したもので,防人の出身国ごとにまとめられ,1首ごとに防人の出身郡・地位・名前が記される。一見勇ましく慎ましい表現の底には,自己の意思に反して徴発され,それまでともに暮らしてきた肉親や故郷との離別をしいられた防人の悲傷と痛恨がこめられている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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