稲嶺一郎(読み)イナミネ イチロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「稲嶺一郎」の解説

稲嶺 一郎
イナミネ イチロウ


肩書
元・参院議員(自民党),琉球石油(株)会長

生年月日
明治38年9月23日

出生地
沖縄県国頭郡本部町

学歴
早稲田大学政経学部経済学科〔昭和4年〕卒

経歴
満鉄に入り、参事調査役を経て、昭和25年琉球水産運会長、26年琉球石油社長、32年琉球大学財団理事長、43年東洋石油精製社長、51年琉球石油会長。また45年以来参院に3選、沖縄開発政務次官、参院外務委員長などをつとめた。著書に「歴史の訓え」「二十一世紀への胎動」「沖縄開発」「美しい沖縄の風土」「世界戦略への発想」などがある。

受賞
サンパウロ市民文化章 勲二等瑞宝章〔昭和51年〕 海外移住功労賞 勲一等瑞宝章〔昭和63年〕

趣味
囲碁(4段) ゴルフ

没年月日
平成1年6月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「稲嶺一郎」の解説

稲嶺 一郎
イナミネ イチロウ

昭和期の実業家,政治家 琉球石油(株)会長;元・参院議員(自民党)。



生年
明治38(1905)年9月23日

没年
平成1(1989)年6月19日

出生地
沖縄県国頭郡本部町

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部経済学科〔昭和4年〕卒

主な受賞名〔年〕
サンパウロ市民文化章,勲二等瑞宝章〔昭和51年〕,海外移住功労賞,勲一等瑞宝章〔昭和63年〕

経歴
満鉄に入り、参事調査役を経て、昭和25年琉球水産運会長、26年琉球石油社長、32年琉球大学財団理事長、43年東洋石油精製社長、51年琉球石油会長。また45年以来参院に3選、沖縄開発政務次官、参院外務委員長などを務めた。著書に「歴史の訓え」「二十一世紀への胎動」「沖縄開発」「美しい沖縄の風土」「世界戦略への発想」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲嶺一郎」の解説

稲嶺一郎 いなみね-いちろう

1905-1989 昭和時代後期の実業家,政治家。
明治38年9月23日生まれ。満鉄バンコク事務所長などをへて,昭和25年琉球石油を設立し社長。また占領下琉球政府を代表し移民漁業の対外折衝に活躍した。45年参議院議員(当選3回,自民党)。平成元年6月19日死去。83歳。沖縄県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「稲嶺一郎」の解説

稲嶺 一郎 (いなみね いちろう)

生年月日:1905年9月23日
昭和時代の実業家;政治家。琉球石油社長;参議院議員
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android