稲沢郷
いなざわごう
現下田市の北部と賀茂郡河津町南部域に比定される中世の郷。須原の法雲寺に所蔵される永正九年(一五一二)一二月一八日付の棟札写には稲沢郷内北ノ沢村の法雲寺観音堂が再興されたことが記される。現落合の高根神社にある同一六年二月二〇日付の棟札に「稲沢郷於落合村」とみえる。永正一七年六月一日、稲沢郷の向陽院の磬がつくられた(「銘写」駿河記)。同院に所蔵される同年四月中旬の向陽院鎮守権現の社殿造立を記す棟札には「稲生沢郷」とみえるが、これは稲沢郷のことか。現須原の子神社が所蔵する大永二年(一五二二)一〇月一二日付の棟札にも稲沢郷がみえる。天文二年(一五三三)一〇月稲沢郷逆川村(現河津町)の三島大明神が修造された(三島神社棟札)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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