稲生原古戦場(読み)いのうはらこせんじよう

日本歴史地名大系 「稲生原古戦場」の解説

稲生原古戦場
いのうはらこせんじよう

弘治二年(一五五六)に、織田信長の軍とその家臣林通勝・弟光春・柴田勝家らの軍が戦った。通勝は信長に背き、荒子(あらこ)(現中川区)・米野(こめの)(現中村区)の城主と組んで兵を挙げ、熱田・那古野(なごや)と清須(きよす)(現西春日井郡清洲町)との通路を断って清須を孤立させた。信長は小田井(おたい)川(庄内川)を越えて名塚(なづか)に砦を築き、佐久間大学に守らせた。砦が完成しないうちに霖雨で小田井川が大水になり、勝家と光春は名塚に迫った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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