熱田(読み)あつた

日本大百科全書(ニッポニカ)「熱田」の解説

熱田
あつた

名古屋市南部の地区。熱田台地南端の熱田神宮の門前町神宮(じんぐう)地区は、中世以来清洲(きよす)と並ぶ商業町で、1601年(慶長6)の駅制で東海道五十三次の宮宿(みやのしゅく)としてますます繁盛した。宿場は伝馬(てんま)町、神戸(ごうど)町辺、「七里の渡(わたし)」といわれる渡船場から、桑名(くわな)へは海路の船旅であった。美濃(みの)街道、佐屋(さや)街道の分岐点でもあり、海路を嫌う者は佐屋街道によった。神戸の浜の周辺には、舟番所、熱田奉行(ぶぎょう)所などや、問屋場4、本陣、脇(わき)本陣各2、旅籠(はたご)屋248軒(1843)が並び、にぎわった。現在の神戸町の常夜灯は復原されたもので、寛永(かんえい)年間(1624~1644)には須賀浦(すがうら)にあった。熱田前新田は、尾張(おわり)9代藩主宗睦(むねちか)時代、熱田奉行津金胤臣(つかねたねおみ)の提案による藩営新田で、現在は大部分が臨海工業地帯と化している。愛知郡熱田町は、1907年(明治40)に名古屋市に編入され、1908年には南区、1937年(昭和12)には熱田区の一部となった。広大な社叢(しゃそう)につつまれる熱田神宮は、伊勢(いせ)神宮に次ぐ由緒ある大宮で、年間参拝客900万余を数える。

 また、JR東海道本線熱田駅および名古屋鉄道神宮前駅周辺の商店街は、名古屋市の繁華街の一つに発展している。地下鉄名城線も通じている。

[伊藤郷平]


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精選版 日本国語大辞典「熱田」の解説

あつた【熱田】

[一] 名古屋市南部の地名。江戸時代は桑名、四日市への渡船場で、東海道最大の宿場町であった。また、熱田神宮の門前町でもあり、宮(みや)と呼ばれた。明治四〇年(一九〇七)名古屋市に編入された。
[二] 名古屋市の行政区の一つ。昭和一二年(一九三七)区制施行により成立。

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世界大百科事典 第2版「熱田」の解説

あつた【熱田】

尾張国(愛知県)愛知郡にある熱田神宮の門前町で,鎌倉時代以来の海陸交通の要地。宮,蓬萊島ともいう。名古屋台の先端熱田台の南に位置し,東は神領田がつづき,西に堀川南北に流れる。南は海浜,北は名古屋の古渡に接する。玉ノ井遺跡,高蔵貝塚,断夫山古墳,白鳥古墳と考古遺跡に富む。《和名抄》の愛智10郷のうち厚田・神戸郷にあたり,歴史は古い。しかし都市の形態がととのうのは永禄(1558‐70)ごろ,とくに東海道宮宿が置かれ,背後に尾張徳川氏の城下町名古屋が形成された江戸時代初頭である。

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世界大百科事典内の熱田の言及

【尾張国】より

…面積の約6割が濃尾平野の南半部にあたる肥沃な沖積平野で,古墳の分布などから推察すれば,北部の犬山市や一宮市,北東部の春日井市あたりにも豪族の拠点があったと考えられる。しかし国全体を統轄する地位を確保したのは,平野南部の熱田台地に本拠をおく尾張国造たる尾張氏であろう。尾張氏は,ヤマトタケル伝説を媒介として,皇室とのつながりを誇示する豪族であった。…

【七里渡】より

…桑名渡,熱田渡,間遠渡ともいう。徳川家康が1601年(慶長6)に東海道を制定したとき,尾張国宮(熱田)宿と伊勢国桑名宿の間は海上を七里渡と決め,これを官道とした。…

※「熱田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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