名塚村(読み)なづかむら

日本歴史地名大系 「名塚村」の解説

名塚村
なづかむら

[現在地名]野津町八里合はちりごう 名塚

城崎じようざき村の西、北流する臼杵うすき川支流名塚川流域にある。村名は地元では「なつか」とよばれることが多い。応安七年(一三七四)一〇月二三日造立の備後尾びごおの宝塔銘に「名塚弥三郎入道・同住人彦三郎入道」の名がみえる。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には名塚村が中山なかやま村など四ヵ村分と一括された一冊が含まれ、村位は中。同一一年の惣御高頭御帳に村名がみえ、高九一石余。香野村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば本高八四石余・出来高六石余、田方五〇石余・畑方四一石余。正保郷帳に村名は記載されず、芝尾しばお村の高に含まれる。

名塚村
なづかむら

[現在地名]山鹿市名塚

下吉田しもよしだ丘陵の東側に位置し、南は下吉田村、東は久原くばる村、北は上吉田村・寺島てらじま村、西は熊入くまいり村・すぎ村と接する。村名は村内にある猿河さるが塚に由来するかという(国誌)近世は中村手永に属する。寛永一五年(一六三八)の地撫帳によると田一五町二反一畝余・畠五町九反四畝余、高三一六石八斗余、下ケ名に権現免・柿ノ木屋敷・権現ノ前などがある。「国誌」には「本村平田村野馬見村道越村等ノ小村アリ」とあり、野馬見のまみ村は同書所載の永享六年(一四三四)一二月二一日の菊池持朝の裏書のある日輪禅寺建立次第に同寺領としてみえる「野豆」という。「肥集録」には小村に本村・原田を記す。宝暦二年(一七五二)の中村手永御蔵納手鑑では高一九石六斗余、田九反一畝余・畑四反一畝余、竈数二・人数一三、馬一とある。

名塚村
なづかむら

[現在地名]西区名塚町・大金おおがね町・鳥見とりみ町・笠取かさとり

庄内川の南岸にあり、東を稲生いのう村と接する。織田信雄分限帳に「百廿七貫 同なつか郷」「四百貫文 なつかの郷 道家弥八郎」とみえる。寛文一一年(一六七一)の家数六四、人数三四五(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田五〇町九反余・畑四町二反余、概高七七七石余のうち七三九石余が藩士一四人の給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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