稲田悦子(読み)イナダ エツコ

20世紀日本人名事典 「稲田悦子」の解説

稲田 悦子
イナダ エツコ

昭和・平成期のフィギュアスケート選手



生年
大正13(1924)年2月8日

没年
平成15(2003)年7月8日

出生地
大阪府大阪市

経歴
8歳の時からフィギュアスケートを始め、天才少女と呼ばれる。昭和10年第8回全日本選手権で初優勝。11年12歳の小学生ながら冬季五輪の日本女子初の代表としてガルミッシュパルテンキルヘン五輪(ドイツ)に出場し、26人中10位となる。開会式の入場行進に130センチに満たない女の子が混じっているのを見たドイツの元首・ヒトラーは「あの子どもは何をしに来たのか」と尋ねたと言われる。同年欧州選手権9位、世界選手権10位。10年から7年間の全日本選手権で、五輪出場の年を除く6勝(5連覇を含む)を挙げ、女子フィギュアスケート界の草分けとして活躍。太平洋戦争による競技中断を経て、24年スケート界に復帰。26年全日本選手権で優勝。同年ミラノの世界選手権に出場、21位。27年コーチとなり、インスブルック五輪で日本人初のフィギュア5位入賞を果たした福原美和などを育てた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲田悦子」の解説

稲田悦子 いなだ-えつこ

1924-2003 昭和-平成時代のフィギュアスケート選手,指導者
大正13年2月8日生まれ。昭和10年全日本選手権で初優勝し,5連勝。11年小学6年でガルミッシュ-パルテンキルヘン冬季五輪に出場し10位。26年世界選手権出場後,プロに転向し,アメリカアイスショー出演。その後コーチとして福原美和らをそだてた。平成15年7月8日死去。79歳。大阪出身。梅花高女卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の稲田悦子の言及

【スケート】より

…しかし著しい発展をみたのは第2次大戦後である。歴代の国際級選手には,戦前にオリンピック代表として活躍した老松一吉,帯谷竜一,稲田悦子,57年から日本選手権10連勝の佐藤信夫,64年のインスブルック冬季オリンピック大会5位の福原美和,77年の世界選手権で日本人として初めて3位となった佐野稔,79年の世界選手権3位,80年のレーク・プラシッド冬季オリンピック大会6位の渡部絵美らがおり,近年では伊藤みどり(1989年世界選手権優勝,92年アルベールビル冬季オリンピック銀メダル),佐藤有香(1994年世界選手権優勝)が国際舞台でめざましい活躍をみせた。
[競技種目と競技方法]
 競技場は60m×30mの広さを標準としている。…

※「稲田悦子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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