穂波屯倉(読み)ほなみのみやけ

日本歴史地名大系 「穂波屯倉」の解説

穂波屯倉
ほなみのみやけ

「日本書紀」安閑天皇二年五月一日条の諸国屯倉設置記事にみえる屯倉の名。糟屋かすや屯倉などと同じく、六世紀に地方豪族の支配地に設定された大和政権の政治的・軍事的拠点。この時に設置されたとされるかま・穂波・我鹿あか肝等かとの各屯倉を結ぶ線は、のちの大宰府豊前を結ぶ駅路に相当し、陸上交通の要衝を押えるものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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