日本歴史地名大系 「穴山梅雪墓」の解説 穴山梅雪墓あなやまばいせつのはか 京都府:綴喜郡田辺町飯岡村穴山梅雪墓[現在地名]田辺町大字飯岡飯岡(いのおか)の丘陵西南中腹にある共同墓地の一角に、石塔の墓と碑がある。穴山梅雪は甲斐武田氏の一族で、天正一〇年(一五八二)武田氏滅亡に先立って徳川家康に下る。同年五月安土(あづち)(現滋賀県蒲生郡安土町)で織田信長に謁し、堺に遊んだが、六月二日本能寺の変を知り、家康に遅れて東帰しようとして、草内(くさじ)村付近で従者とともに討たれたという。「雍州府志」は「於山城普賢寺谷梅雪従者斬郷(嚮)導者奪其太刀之銀鐔於土人蜂起遂殺梅雪於草内(くさち)村西」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by